行き過ぎた「規制緩和」からの転換を~安全や健康、命を守る公的規制の役割を見直そう

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 「聖域なき構造改革」、「民でできることは民で」と繰り返し、郵政民営化を推し進めた小泉純一郎内閣の下、「総合規制改革会議」は製造業における労働者派遣事業の解禁を答申した(2002年)。岸田政権では「規制改革推進会議」として在し、その役割を「内閣総理大臣の諮問に応じ、経済社会の構造改革を進める上で必要な規制の在り方の改革に関する基本的事項を総合的に調査・審議することを主要な任務」とする。

 「規制緩和」という言葉は、公的規制を縮小・廃止することの代名詞となり、構造改革特区制度も活用しながら、対象とする規制は拡大され続けている。遡れば1970年代、米国のカーターやレーガン、英国のサッチャーらが推進した「規制緩和」が注目を浴び、行政の効率化を求める動きが強まっていた。米国では対日貿易赤字が拡大し、日本は市場開放を強く要求された。1988年、「第2次行革審」は竹下内閣に、「公的規制の緩和等に関する答申」を提出。答申は、公的規制の廃止・緩和は、市場原理に基づく自由競争を促進し、民間の活力を発揮させるための不可欠な条件と述べた。また公的規制には「経済的規制」と「社会的規制」があり、主として「経済的規制」の見直しを行うとした。しかし2001年に誕生した小泉内閣は、競争的な経済システムを作るために、経済・社会全般にわたる規制改革を行うとして、内閣府に総合規制改革会議を設置。雇用・労働、医療・福祉の分野等も広く規制改革の対象とする方針を出し、「社会的規制」にも踏み込んでいったのである。

 当時、医療界は混合診療解禁や株式会社参入の動きにいち早く反対の声をあげ、全面解禁にブレーキをかけたが、保険外併用療養費制度(2006年)はその範囲を徐々に拡大している。一定の規制を受けて販売される医薬品についても、「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2003」で、安全上特に問題がないとの結論に至った医薬品すべてについて、薬局に限らず販売できるようにするとした。安全性よりも、薬剤師が不在でも販売できる、利便性が高いことなどが優先され、今後もスイッチOTC医薬品(医師の処方から市販薬へ転用したもの)を拡大する方向で検討が進んでいる。死亡者を含む健康被害が発生している機能性表示食品も、「規制緩和」の流れのなかで発生した問題である。2015年、安倍晋三首相(当時)は、「国民が自らの健康を自ら守るためには的確な情報が提供されなければならない」と、アメリカにならい、届出のみでよいとする健康食品の機能性表示解禁を行った。その後、業界は22倍に急成長したという。解禁前の2014年、野党はこの問題を国会でとりあげ、「機能性表示の解禁は輸出と食品市場の拡大を目的とするもの」として、安全を担保する規制を緩和することに警鐘を鳴らしていた。「規制緩和」が容易にできない医療や農業、雇用分野を「岩盤規制」と呼び、あたかも抵抗勢力であるかのように扱われた。しかし今、機能性表示食品の「規制緩和」要求を繰り返した経団連は、「人の健康、人体に関わる問題だから、もう少し厳しく慎重にやるべきだったという声が起こってくるのは、その通り」と語っている。

 企業参入を許した保育園では、子どもの事故や不適切保育の報道が後を絶たない。人手不足の著しい物流業界では、この4月から、大型トラックの高速道路での最高速度規制が時速80キロから90キロに緩和された。少子化による労働力不足が、市場拡大優先で推し進められた「規制緩和」をさらに拡大させることを危惧する。安全や健康、命を守る公的規制の役割を見直し、行き過ぎた「規制緩和」からの転換を求める。